昔の発表会の思い出
スズキメソード京都は、何人も先生がいたので、それが良い面と、そうでも無い面があった発表会のことを書いてみます。
毎年「独奏発表会」というのを開催していましたが、各先生から何名かずつ生徒さんを出しての発表会でした。
生徒さん全員独奏の「勉強会」というものを開催される先生もおられますが、生徒さんが「演奏する」という意味では、全員出演できるわけですから、極めて有用です。
でも、「演奏を聴いてもらう」という観点では、不都合もあります。同じ曲が並んでコンクールのようになったり、ともかく全体が丸一日とか一日半かかるので、皆さんが全員の分を聞くということは、かなり大変です。
スズキメソード京都で行っていた独奏発表会では、各先生毎に10人に一人程度弾いて頂く形でした。
つまり良い面とは言えないこととして、計算上は全員に回るのに10年かかります。一度弾くと10年間弾かせてもらえません。
でも、指導者の人情として、頑張った結果、進みの早い子には、10年を待たずに弾かせてあげたくなります。
そのため、10人に一人という決まりも先生毎にばらついてくることはやむを得ません。
私は、解決策として、クラスだけのミニコンサートを開いて、そこでは毎年、全員に弾いて頂くようにし、独奏発表会は2年続けて弾くことは避けていました。
関連して、このような事がありました。
休憩の時に、聴きに来ておられた方が数名、お帰りになった事があります。それを見て、ある方(Aさんとしておきます)が、途中で帰る事が無いように出来ないものかと仰いました。
確かにそうです。その上、帰られた皆さんは私のクラスの、独奏されなかった生徒さんや、親御さん方でした。
ここまでを読まれると、私のクラスは問題有りのように思われるに違いありません。
でも、Aさんはご存知ありません。私は日頃から、独奏の無い生徒さん、親御さんも、独奏発表会を聴きに来て下さるように、申し上げています。
つまり、帰られた皆さんは、ご自分の子供さんが独奏するわけでも無いのに、来て下さった皆さんです。
これでも説明不足なので、付け加えます。
私のクラス以外では、余程親しい子供さんが独奏するのでは無い限り、聴きには来られません。ですから、途中で帰る人が居ないと言うよりも、最初から来ておられません。
それでも来ておられた、私のクラスの方が、他のクラスの方に「子供さんが独奏するわけでも無いのに、どうして来たの」といわれたこともあります。
私は、プログラムの半分だけでも聴きに来て下さったことを評価しています。
発表会で弾くということの意義は、弾くこともありますが「聞いてもらう」ことがもっと重要だと思います。
あるとき、とある親御さんから、「去年も弾いたけれども、今年も弾かせて欲しい」と言われた事があります。丁重にお断りしました。
その方は、私の事を「分け隔てしない、良い先生だ」と思われたと信じています。(逆恨みしておられるかも知れませんが)