ワクワクする事
同じ人生を生きていくとして、出来る事なら多くのワクワク感を経験していきたいものです。
音楽する事は、まさにそれにつきると思います。
その観点で少し書いてみます。これまでに書いたことと重複するかも知れませんが、「本当にわかってもらいたいことは10回言え」とか聞いたことがありますから、まだ2回目位です。
このHPには、弦楽団の説明と演奏歴を載せています。
以前、弦楽団のメンバーにこの演奏歴を見てもらって感想を求めたことがあります。感想を求めた理由は、この演奏歴をとある他の先生クラス出身の人に見てもらったことにあります。何かの参考にして下さいと感想を求めたわけではないのですが、次のようなメッセージをいただきました。
「一つ一つの曲の歴史や背景に触れるたび、今までに積み上げられてきたものに圧倒されそうになりますが、同時に楽しくて仕方ありません。」
素晴らしい感覚が育っているなと、感動しました。
でも、弦楽団のメンバーからは、何の反応も無く、とある保護者の方からは、「どうして感想が必要なのですか?」と尋ねられる始末です。
以前も書いた気がしますが、例えばとある大型遊園地が好きな人にとっては、その遊園地について書かれた本や、アトラクションの歴史を知ると、ワクワクすると思います。
興味の無い人にとっては、理解できないことかも知れません。
合奏科Bクラスは、コンチェルティーノ・ディ・キョウト・ジュニアという名称で、松本・夏期学校のコンサートに何度も出演しました。
夏期学校ではロビーでコンサートのヴィデオを販売しているので、お昼の休憩の時など、前日のコンサートの演奏を流していました。
松本に行き始めて間もないころ、そのモニターの前に、京都の弦楽団のメンバーが陣取って、他の合奏団の演奏を食い入るように見ていました。
弦楽合奏に取り組んできて、自分たちの演奏だけでは無く、他の生徒さんの演奏にも興味を持ってワクワクしていたわけです。
これまた、興味の無い人にとっては、「別に」ということでしょう。
だからこそ、演奏歴を閲覧したメンバーには、「こんな歴史があったのか」「先生方は、こんな風に苦労を重ねてきたのか」「こんな曲があるのか、是非弾いてみたい」とか感じてもらいたいわけです。
そのためには、まずお父様、お母様方がそのワクワク感を共有して下さる事が大切です。
長い(70年近い)歴史もわかっていただけると、コロナだから今年はやめます、なんて安易に言えないことも、ご理解頂けると思います。
次のワクワク感は、ハーモニーです。
ミニコンサートなどでピアノ伴奏で弾いて頂いて、それと気づかずアンサンブルの喜びを体験して下さっていると思います。でも、ピアノの音は減衰音であり、ヴァイオリンは持続音です。創り出されるハーモニーには限界があるかも知れません。でも弦楽合奏や弦楽四重奏との共演では、持続音同士で、絶妙のハーモニーが生まれます。
恐らく何度も経験して頂くうちに、わかって頂けると思います。
そして、既に触れましたが、アンサンブルのワクワク感です。
ヴァイオリンには、バッハの無伴奏ソナタとパルティータ、パガニーニのキャプリス等、一人で演奏してとてつもない満足感を得られる音楽があることは確かですが、二人から何十人で音楽を創り出す感激は、何物にも代えがたい経験です。
これは、アンサンブルのワクワク感だけでは無く、その曲の持っているワクワク感も伴います。
例えば、ラロやサンサーンスといった作曲家は、チゴイネルワイゼンで有名なサラサーテに捧げるべく、協奏曲を作曲しました。この事実も素晴らしいのですが、生徒さんがこれらの曲を演奏するときに、誰の為に作曲されたかは重要ではありません。その生徒さんが、お金を出して楽譜を買ったわけですから、その楽譜は、つまりその曲はその生徒さんの為に存在しています。
レストランで、ある人の前に出てきた御料理は、その人のためでしか、あり得ません。メニューに食べてみたい御料理が沢山並んでいるのは、楽しいことです。
世の中には、「あなた」に弾いてもらおうと何千、何万という曲が存在しているわけです。ワクワクしないでどうなるでしょうか?
鈴木先生の教本は、さながら宝石箱です。今おけいこしている曲が、実は極めて価値の高い宝石である事に気づいてもらえると、有り難いです。
音や音程、リズムを間違えている場合では無いのです。